お盆だからこそ・・・現実を見据えた「私たちの平和宣言」

全国的にお盆期間、読者の皆さまはいかがおすごしでしょうか? 私は昨日、靖国神社の参拝を済ませてきました。15日は仕事で行けそうにないので、早めに参拝したのですが結構人がいました。そして、遊就館1階の「結」というカフェで今年初!のかき氷を頂きました(*‘∀‘) やっぱり、かき氷はいちごミルクプラス練乳が一番ですね!(異論があるかも(笑))

靖国で祈るのは公に関することばかりです。私事は一切祈りません。靖国神社周辺にはあたり前というか、すでに警察官があちこちに配置されていました。来る15日の終戦の日にはまたもや基地外反日左翼のわめき声で騒然とするのでしょう。自分の国のために命を捧げてくれた先人たちに感謝するどころか、その真逆、天に唾はく行為を平気でするのですから。今の日本国があるのは誰のおかげなのか、何はともあれ一応平和に暮らせるのが誰のおかげなのか、考えられるほどの脳みそは持っていない、キムチしかつまっていないから、何を言っても無駄でしょう。

さて、お盆期間でもありますが、私もここ数年お盆に帰省したことがありません。とにかく、飛行機は多いし、料金は高いし・・・長崎のお盆はご存じの方も多いかと思いますが、とにかくド派手、花火しまくり、それも爆竹www 勿論私も爆竹に火をつけて放り投げたり、しまいには箱ごと点火して威力を倍増させるということをしておりましたが、長崎の人間はこのくらいできないとダメなのです(笑)15日には「精霊流し」という初盆の家が「精霊(しょうろう)船」という船をつくり、故人の魂をのせて海に流すという行事です。大昔は本当に海に流していたそうですが、さすがに今は無理ですので、港に船を集める場所があり、そこまで行くのです。その道中が凄まじいことこの上ない。花火、それも爆竹を始めとする激しいものばかり。長崎の某花火店はひと夏で一年分を稼ぎ出すくらいですから、いかに花火の消費量が凄まじいかお分かりかと思います。以下にウィキペディアから抜粋します。
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長崎市を始め、長崎県内各地でお盆に行われる伝統行事である(ただし、県内でも海から遠い波佐見町等にはこの風習はない)。隣県である佐賀県の佐賀市や、熊本県の熊本市御船町などにも同様の風習が見られる。初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船(しょうろうぶね)と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、「流し場」と呼ばれる終着点まで運ぶ。

毎年8月15日の夕刻から開催され、爆竹の破裂音・鉦の音・掛け声が交錯する喧騒の中で行われる。精霊船は山車(だし)を連想させる華美なものであり、見物客が集まる。「祭り」と誤解されることもあるが、あくまでも故人を追悼する仏教の行事である。

初盆でない場合は精霊船は作らず、藁を束ねた小さな菰(こも)に花や果物などの供物を包み、流し場に持っていく。精霊船や供物は、以前は実際に海へと流されていたが、長崎市では1871年明治4年)に禁止された。精霊船も水に浮かぶような構造にはなっていない。現在でも島原市西海市松浦市五島市などでは、実際に川面や海上に浮かべることもある。
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これはお祭りではありません(笑)私も祖父母や叔父が亡くなったときに遺族として参加するわけですが、かならずどこかを火傷しているのですww 最後は爆竹が入った段ボールごと燃やします。そうするとものすごい火柱が立つのです。ですから、お盆に爆竹の音や花火の火薬の匂いがしないのはいまだに慣れないというか、不思議な感じです。一応、画像を↓ いつだったか、爆竹のやりすぎで船が炎上するということが起こりました、故人もびっくりしたでしょうね(笑)この行事は凄まじい喧噪の底には故人への思い、大事な人を亡くした悲しみが流れています。あの耳栓をしないとどうしようもないほどのうるささの中に哀しさがあります。遺族はこの日を境にして、自分の気持ちを整理して歩いていく、そのための行事であるといってもいいと思います。

帰省したら、墓参りに行かなくては!!しばらく言ってないですからね~やはりご先祖さまは大事にしなければなりません!

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先日の記事で戦争に関することを書きました。その続きというわけではないのですが、やはり終戦の日も近いですし、拙ブログで以前から紹介させていただいている「私たちの平和宣言 平成29年版」を転載したいと思います。これは広島で設立された「平和と安全を求める被爆者たちの会」が毎年発表しているものです。彼らはこれまでの反核運動やその団体の思想とは違う視点で平和とは何かを考える方たちです。要するに、現実をしっかりと見据えているということです。では、以下に転載します。
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平成29年 『私たちの平和宣言』

             平成2986日 広島

あの夏の朝、瞬きのうちに、巨大な灼熱と暴風の塊が私達の故郷を飲み込みました。その時を、5千メートルの上空で一機の日本の戦闘機が体験していました。「広島の街並みを見た直後、突然の衝撃で機体は飛ばされた。必死に機体を立て直して地上を見たら・・街が無い!瓦礫しかない!」・・・と。幾万の同胞たちが街もろとも抹殺されていました。そして3日後の長崎もまた無残な姿になりました。

 
あれから
72年。私達から2つの大切な事実が忘れ去られようとしています。その一つは、原爆に先立ち10万人が犠牲になった東京大空襲の目標が、軍事施設ではなく「東京市街地」だと明記されていたことです。原爆も、全国各都市の空襲も、明記された通りに、普通の市街地が標的になり、“幾十万もの無辜の人々が折り重なる殺戮”の現場になりました。もう一つは、決して、かの国の前大統領が述べたような、「雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきた」のではなく、原爆という「死を落とした人の手」があったことです。逃げ惑う子供達にまで、低空から機銃掃射をした多数の敵戦闘機もまた、「死を落とした汚れた手」だったのです。「戦争は軍人と軍人の戦いだから原爆は戦争ではなく、非戦闘員を殺す虐殺」でしかありません。戦争中であっても、人々には日々の営みの場があり、そこは攻撃してはならないとする国と国との約束がありました。しかし、躊躇うことなく虐殺は実行されました。焦熱は人間を焼き尽くし、閃光は影だけを石に焼き付け、爆風は建物を壊してもろともに人を砕き、ガラスは無数の弾丸となって肉体に刺さり、死なずとも肌は焼け、あるいは溶け落ち、破片は肉に食い込みました。人間の想像したどんな地獄絵よりも残虐無比な惨状には、表現する言葉すらありません。私達はここに改めて、皆様の無念の最期を想い、魂の安らかならんことを祈ります。

 
街は消え、遠くまで見渡せる音のない灰色の世界で、辛くも生き延びた人々は彷徨いました。死んだ子を背負う母や眼球が飛び出た人、黒焦げの負傷者を乗せたリアカー。爆心地から逃れ、黒く変色した人々の列は続きました。人々は無言で、前だけを向いて歩きました。しかし、その姿がいかに悲惨であっても、その歩みは、残された自らの力だけで踏み出した、明日に向かう偉大な一歩だったのだと思えてなりません。達者な者は救護に当たり、医師や看護師は懸命の治療を施し、犠牲者を探して助け、骸を荼毘に付し、動員学徒は不眠不休で電車を復旧させ、水道局の人々は破壊された浄水場のポンプを修理して被災者に水を届けました。長崎では必死の作業で鉄道線路が復旧され、一番列車が救助に向かいました。これらは皆、生き残った人々が死体と一緒に過ごした数日間の、色も音もない世界に蘇った復興の号砲でした。原爆は街と人の体を壊したけれど、心までは壊せませんでした。人々は再び生活を始め、手に入る物を商い、家を建て、驚異的な速さで廃墟は街に変わって行きました。私達の幼い記憶には、破壊された建物の鉄骨を修復する人々、道路を再建する人々、相協力して地域を整える隣近所の人々、そして子のために遊具を作る隣のおじさんやおばさんが居ました。それが私達の親や祖父母達の姿でした。現在の街が美しく整えられ、有機的に結合し、不足のない品物の数々を見るにつけ、あの時の皆様の懸命の努力に対して深い感動に満ちた感謝の気持ちが沸き上がります。本当にありがとうございました。そして私達は、皆様の偉大な成果を守り、発展させるべく今という時間を生きています。我が子を、我が故郷を、そして我が国を再び蹂躙させないことは、私達の大きな責務です。


今年、北朝鮮はミサイルと核兵器の威力を急速に向上させ、日本も無差別核攻撃の対象だと恫喝しました。中国は「核兵器は中華民族の尊厳」だと主張しています。さらに仲裁裁判所の裁定は紙くずだと罵って南シナ海の人工島を着々と要塞に変貌させ、周辺国や我が国を軍事的に威圧しています。


「核廃絶」をうたいあげれば危機は解消するでしょうか。オバマ前大統領は「あらゆる選択肢を排除しない」と警告しつつも、彼の「戦略的忍耐」は、北朝鮮の核開発を放任しました。「粘り強く対話し不正を糺す」政策は失敗しました。トランプ大統領はオバマ前大統領と同じく「全ての選択肢はテーブルにある」と言いつつ、日本海に艦隊を派遣しました。そして、艦隊のある間、北の暴発は一時的にせよ縮小しました。今年の7月、国連総会で「核兵器禁止条約」が採択されました。しかしながら、核保有国のどの一つとして条約に同意せず、同意した122ヶ国中の102ヶ国は北朝鮮と国交がある国々です。それらの国々が、これまで北朝鮮の核廃絶を実行させる力を発揮したことはなく、条約は加盟国だけを縛ります。条約を後押しした平和首長会議、そこに参加する核保有国の都市もまた、自国の核兵器を制限させたことはありません。この現実から、私達は条約に実効性はなく、歓迎もせず、日本の不参加は当然だと考えます。なぜなら、我が国は国民の平和と安全を守るため、核保有国との連携を含むあらゆる手立てを尽くして核兵器による惨禍を防ぐ立場を取る責務があるからです。

「核廃絶」、私達はその美しき願望を否定はしません。しかし、我が国の現在は近隣諸国の核兵器抗争の只中にあり、「核兵器禁止条約」では目の前の危機を排除できません。かつて、いわゆる「被爆者代表」が日本国憲法の独特の解釈を根拠に首相に対して我が国の防衛政策の撤廃を要求しましたが、それが金正恩氏の行動を抑制したでしょうか? オバマ前大統領主導の「イランとの核合意」は、一定期間の核開発凍結など甘い合意だったので、専門家の予測通り、サウジが反発して湾岸諸国はイランとカタールとの断交に踏み切りました。性急な綺麗事外交が罠に嵌る実例です。日本の危機が現実になった今、核兵器にこだわるあまり、私達は反核平和主義を掲げて現実逃避の外野の観戦者となってはならず、国際法の認める抑止力の保持までも否定すべきではありません。安全無くして平和はない、厳しい国際政治の現実の中で、広島も、日本各地も、理不尽な攻撃を抑止する手段を備え、住民の安全を守る行政こそが最優先されるべきなのです。私達は、「反核平和」の矛盾を見据え、実効的な平和実現の道を求め、渾身の力で復興された偉大な先人の遺産を守る決意です。未来を託す子孫のために、そして「過ちを繰り返えさせないために」。

                             「平和と安全を求める被爆者たちの会」
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亡き祖父は孫である私に原爆の話をよく聞かせてくれました。どういうわけか母親にはあまり話さなかったようですが・・長崎で原爆が炸裂してから数時間後に祖父は爆心地で救助活動を行っています。長崎市内の各町内の消防団が救助活動に向かったようですが、祖父の話は凄まじいものがありました。この宣言にあるように黒焦げの死体の山、焼けただれた虫の息の人たち、全身大やけどで水を求める人、目が飛び出している人、祖父の足にしがみついた全身大やけどの人が「水、水」と懇願したそうです。本来であれば大やけどの人に水を飲ませてはいけないらしいのですが、祖父はその火傷の酷さをみて「これは助からない」と思い、水を飲ませたそうです。末期の水を飲んだ方はそのあとすぐに亡くなったそうですが、この宣言を拝しますと、亡き祖父の敗戦に対する忸怩たる思い、私に「もうお前たちの時代には絶対に戦争はするな。でも、どうしてもしなきゃいけない時は・・次は、絶対に勝て」といった気持ちが少しは理解できるのです。







by ariesgirl | 2017-08-13 16:00 | 戦争 | Comments(0)