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憂国忌~三島由紀夫自決から45年。再びの檄文~

昨日、11月25日は「憂国忌」でした。三島由紀夫の自決から45年、生きていれば90歳・・・三島由紀夫の檄にふさわしいような荒天の東京でした。「憂国忌」いうまでもなく、昭和45年11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で憲法改正に関する檄をとばし、割腹自決した事件を偲んでそう呼ばれます。

もちろん、私は当時のことは知識としては知っていますが、リアルタイムでは全く知りません。ただ、学生時代に文学部だったこともあって三島由紀夫の作品は多少読んでいるという程度でした。

三島由紀夫の作品にも言えることですが、若いころには気が付かなかったこと、それは文章の美しさ、日本語を自由自在に適格に操り、表現していることに年齢を重ねてから再読し感じたことです。ただ、そのせいか難しい、難解。特に「金閣寺」は初めて読んだときにはもう全然わからなくて、(今もあまり変わりませんが・・)日本人なのに知らない日本語が散りばめられている、作家としての名声は今も輝き続けている三島由紀夫ですが、あのような作家はもう出てこないかもしれません。

三島由紀夫の割腹自決という、世界中を驚かせた事件(事件というのはちょっと違和感が・・)ですが、私のような未熟者にはどのような言葉を使って、あのことを表現すればいいのか見当もつきませんが、敢えていうとすれば命を捨てて生きたあるいは命を捨てて生き続けるということでしょうか。。。

命を捨てて生きた三島由紀夫が、今の日本を見たらどう思うでしょうか?発狂していたかもしれないという気がします。

または、平成に入るころから廃人同様になって別の手段で自ら死を選んだのではないかという気もします。自虐教育で洗脳された日本人の劣化、自分のことしか興味のないカネカネカネの日本人の増加、日本国の汚鮮、自己保身のために国を売る売国奴や国賊官僚がはびこる政界や経済界、元華族であった三島からみた反日左翼の今上様、祭祀王なのに祭祀を忘れた今上様、赤い悪魔の女帝、どうしようもなく愚鈍の後退氏と基地外嫁・・・三島由紀夫にとってはもう耐えられない現実が嫌でも突きつけられるわけですから。それを思えば、生きていなくてよかったのかもしれません。

三島由紀夫の凄絶な生と死から45年。彼の檄文は本当に美しい文章です。45年前の檄文の一部を抜粋します。
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われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。

「われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」
===============(以上、一部抜粋終わり)

自衛隊もこの檄文が読まれた時とはずいぶん変わったと思いますし、世界情勢も激変しました。それでも、この檄文は心ある日本人の魂を揺さぶる力を今でも変わらずに持ち続けていると思います。世界に蔓延する生命尊重至上主義とでもいう厄介なものに対峙するごとく。この檄文を読むと、大東亜戦争で自分の生命よりも大切なものがあるということを示して散華した先人たちと重なります。

「魂は死んでもよいのか。」「それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。」

三島由紀夫は昭和45年の時点において、真の独立国と成り得ていない日本とそれを助長する政治家や偽善が蔓延する社会に凄まじい憤りを持っていたと思います。この檄文は月並みな言い方ですが、三島由紀夫の魂の底からの咆哮、叫び、だからこそ今も色あせない。

では、檄文の全文を以下に転載します。文字の色付は管理人によるものです。
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 楯の会隊長 三島由紀夫

われわれ楯の会は自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。
その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、またわれわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。

われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。 教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と言はれようとも自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢見た。
しかも法理論的には自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。

もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。 自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。 自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。

われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。 自衛隊が目覚める時こそ日本が目覚める時だと信じた。 自衛隊が自ら目覚めることなしに、この眠れる日本が目覚めることはないのを信じた。
憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。


四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念はひとへに自衛隊が目覚める時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった。

憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。 国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。 日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。 国のねじ曲がった大本を正すといふ使命のためわれわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。

しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こったか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終わった。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起こったか、政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。 治安出動は不要になった。

政府は政体護持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。 これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。

名を捨てて実をとる! 政治家にとってはそれでよからう。しかし自衛隊にとっては致命傷であることに政治家は気づかない筈はない。そこで、ふたたび前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

銘記せよ!
実はこの昭和四十五年(注、四十四年の誤りか)十月二十一日といふ日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。 創立以来二十年に亘って憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。

論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。 自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。

我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば決然起ち上がるのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する男子の声はきこえてはこなかった。

かくなる上は自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤやうに黙ったままだった。われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。

しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐ったのか。 武士の魂はどこへ行ったのだ。 魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうとするのか。

繊維交渉に当たっては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかった。

沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

われわれは四年待った。 最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。 自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。 共に起って義のために共に死ぬのだ。

日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。 今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。 日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。

これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

<追記>

■三島の辞世の句
 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて今日の初霜
 散るをいとふ世にも人にもさきがける 散るこそ花と咲く小夜嵐

■森田(必勝)の辞世の句
 今日にかけてかねて誓ひし我か胸の 思ひを知るは野分のみかは 
  散るをいとふ世にも人にもさきがける 散るこそ花と咲く小夜嵐
ソース:http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/mishima_geki.htm
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三島由紀夫氏と森田必勝氏のご冥福を改めてお祈り申し上げるとともに、三島氏の生まれ変わりの日本人が日本国に降り立ちますように。そして、三島由紀夫氏の魂が国と皇統の守りとなりますように。
Commented by at 2015-11-27 07:31 x
アリエスさんお早うございます!更新お疲れ様です。

三島由紀夫さんのあの自決の日から45年...
記事にしてくださりありがとうございます。
彼はまさに憂国の士。花畑の洗脳されやすい性質の日本人の中にあってあの気質、それは生きづらかったことでしょう。
どうしても憂国の士となられた方たちというのは生き急ぐ傾向にあるようで、やはり転生のことも関係しているのでしょうか?
皇室の写真ブログを拝見してきたのですが、やはり陛下も相当おかしい...
なんだかんだ両陛下も東宮もこのカップリング以外は成立不可としか思えなくなってきたほど。
おかしい人にまともな人が寄り添えるわけがない!
そう考えると秋篠宮殿下は凄い奇跡ですよね。
黒田清子さんもそうだけど。
神はどんなときも必ず救い(希望)を残すという言い伝えの例を見た気がします。

毎年焦る年末の大掃除(笑)今年はもう始めましたよ(笑)
では今からまたがんばります!


Commented by ariesgirl at 2015-11-27 16:49
>誉さま
こんばんは!三島由紀夫氏が生きていたらと思いますが、記事にも書いたように彼は発狂したかもしれないと今の日本をみると感じてしまいます。皇室の今上様と女帝様、トーグー負債は似た者同士、まさに破れ鍋に綴じ蓋のカップリングです(笑)女帝様を見ていると、やはりお里が知れる、いくら卑賤のものが取り繕っても所詮高貴な人間にはなれないとわかります。又子も同じ。30日は秋篠宮殿下のお誕生日です。機会があれば奈良の秋篠寺に行って秋篠宮ご一家へのご加護と即位を祈りたいです。えっ!もう大掃除?気合入ってるな~(笑)ちなみにご当地の国民も日本人のように気合を入れて大掃除ってするのですか?
Commented by 葉桜 at 2015-11-27 19:42 x
お久し振りです。

今の状況はまさに、開かれた皇室…ですよね!!
私達も広く深く知る事が出来て嬉しく思います…。

前にアリエス様に一本眉婆の問題は2012年頃には出ていたと書いた理由は、ブログ『日の本』の『保守の怒り』(2012年記事)を思い出し読み直した結果でした。
読んだ当時は、チョット気になる話…ぐらいで時が過ぎすっかり忘れていました。

三島氏は今の時代に生きていたら、ネットを駆使して主張や行動をきっとしてますよね?一本眉婆にとって脅威な存在になって、マスゴミや特アなどを使って相当な行動をしてる可能性も…。
どちらの時代の方が生きやすかったのでしょうか…。
Commented by ariesgirl at 2015-11-27 21:04
>葉桜さま
こんばんは。寒くなりましたね~ご当地はすっかり冬支度でしょうか。 さて、おっしゃるとおりまさに「開かれた皇室」と化していますね(笑)女帝様が隠しまくってきたことが開かれてますからww 私も10年前に聞いていた話が事実だったとは・・・と愕然としました。三島由紀夫氏は葉桜さんがいうような行動をとるか、発狂して死ぬかのいずれかだという気がします。奇跡の一本眉婆とはお見合いまでしたのに、やはり華族出身の三島氏には何か卑しいものを感じたのでしょうね、M子さんに。
Commented by 真・大須騒擾事件 at 2017-07-10 14:41 x
結局、金がなくなって組織を維持できなくなったので
やけっぱちになってクーデターごっごをしただけでしょ(笑)
作家なんだから、自分の土俵で頑張ればよかっただけです。
こんなのを改憲の旗印にするから保守はいまいち強くなれないんですよ。
こんな犯罪組織と自衛隊を関連付けるのやめてくれませんかね?
by ariesgirl | 2015-11-26 21:15 | 日本 | Comments(5)