アリエスの雑記帳

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いらっしゃいませ!日本を愛するキ印の管理人の超偏向ブログです。除鮮・除中で日本を美しく!コメント大歓迎ですが、特ア、反日、成り済ましはお断り!エロ、カルトや宗教がらみのコメントは速攻で削除します!!

平成27年 広島原爆忌の「もう一つの平和宣言」

読者の皆様、お久しぶりでございます。無事に長崎から戻ってまいりました。長崎よりも東京のほうが圧倒的に暑い・・・orz 長崎は不思議なことに夜はエアコンなしで寝ることができましたから!ただ、太陽の光は圧倒的に長崎のほうが強く感じました。 

しかし・・・シナ人、朝鮮人の観光客が多くて吐き気がしましたわ。ただでさえ暑いのに、本当に迷惑な連中です。 とはいえ、私の目的の一つは久しぶりの墓参り。祖父母が夢にでてきたくらいですから(汗) 久しぶりに両親それぞれのお墓にいき、掃除をし、花を取り換え、線香をあげると本当にスッキリしました。やはり、お墓参りは日本人に必要不可欠、いや義務ですね!! ただ、暑くて、まるで罰ゲーム(笑) 

それ以外は親友と会って近況報告、海に行ったり(泳いだわけではない)同級生との飲み会で夜中まで・・・など結構忙しく、あっという間に過ぎた感じです。読者の皆様もどうかいい休暇を過ごしていただきたいと思います。

さて、今日は広島の原爆忌です。70年前の8月6日、人類で初めて核兵器が使われ、日本人がアメリカの人体実験に使われました。そして、3日後には中身を変えた核兵器が長崎に落とされ、またもや人体実験の場所となりました。

私は何度も書いていますが、私は被爆二世です。まあ、これが原因でいやな思いをしたことはありません。ただ、親などはよそ(長崎、広島)以外では言わないほうがいいといいますが、別に平気です。福島の原発事故のあと、基地外のように反原発がはやって、猫も杓子も状態となったときには反原発の署名をして物知り顔で放射能のことを語り、署名を求める人に「私は被爆二世で、両親も祖父母も被爆者ですけど、元気ですよ。で、なんですか?」といった程度です(笑)相手はドン引きですけどwww

いつもこの日、長崎の9日も含めて広島、長崎市長による偽善とプロパガンダ臭が甚だしい「平和宣言」なる代物が読み上げられます。正直言って、ウンザリですし、反吐がでます。 

その偽善的平和宣言と一線を画した「平和と安全を求める被爆者たちの会」による「平和宣言」を毎年拙ブログで紹介させていただいております。今年も例のごとく転載いたしますので、どうかご一読いただきまして、拡散していただければと思います。私個人はこの「平和宣言」こそが真であると考えています。(朱書き、太字は管理人が行いました)長くなりますが、ぜひぜひご一読を!!
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平成27年 『 私たちの平和宣言 ~占領後63年間の虚構を見据えて』
             平成27年8月6日 広島

一瞬の熱線と爆風で斃された広島と長崎20数万の命、それに先立つ焼夷弾の火炎で一夜にして断たれた東京10万余の命、日本各地の空爆で殺害された幾10万の命。昭和20年8月に至る半年あまりの絨毯爆撃は、まさしく空前の戦争犯罪でした。その悪魔の所業から70年。二つの原爆から生き延びても、被災者は苦痛と恐怖に苛まれ続けました。不法な攻撃に晒された人々の心から、私たちの父母兄弟達の気持ちから、非難と嘆き、恨みと屈辱が消えることはないでしょう。

井伏鱒二は、当時の広島を『空鞘町あたりにくると火焔が街を一舐めにしたことがわかる。上半身だけ白骨になったもの、片手片足以外は白骨になったもの、・・・・千差万別の死体が散乱して異様な臭気を発している』1)と書きました。長崎では、『あるいは死にあるいは生死の境をさ迷いながらうめき苦しむ多くの人々、達者な者は重傷者の看護に一生懸命立ち働いている。780余人のうち達者な者も150人以上はいたのだが、10日ぐらい経ったころにはばたばたと死んで行き完全に生き残った者は20人ぐらいに過ぎなかった』2)と記録されています。その場を共にした皆様は、「あの醜悪な情景は、攻撃者が醜悪だった表れだ」と認識しておられたのです。『人々は阿鼻叫喚の気配を押さえ、死骸と並んで寝ることも恐れぬ忍耐と、極度の慎ましさ』3)を示しながらも、死にゆく人は「兵隊さん仇を取って下さい」と末期の言葉を残したのです。しかし9ヶ月後の長崎は、『立ち並ぶ復興住宅、人々で賑わう市場、倒壊した天主堂、頭に包帯を巻いて無心に遊ぶ少女の姿もある』4)と報道されています。皆様は、地獄絵の渦中にあって互いを助け、不屈の精神を持ち、秩序整然として、わずかな期間で復興の基礎を拓かれたのです。今日の繁栄を享受している私たちは、ここに皆様の思いと、艱難辛苦を胸に刻み、頭を垂れ、改めて深い感謝と心からの慰霊の誠を捧げます。本当にありがとうございました。

しかし、日本が言論の自由を奪われた7年間の占領で、戦争犯罪の真実は隠され、犠牲者の心の叫びは封じられ、開戦から原爆投下、敗戦までの真実は勝利者だけの正義の物語に置き換えられて行きました。非道な犯罪を隠滅して、日本だけを断罪しました。それから63年、世の中には「戦争を風化させるな!」の声が溢れています。しかし、戦争の真実とは何だったのでしょう?戦後70年とは、私達にとって本当に節目の年なのでしょうか?

昭和19年、英国の大臣は『米国が戦争に追い込まれたというのは甚だしい歴史歪曲である。米国があまりにひどく日本を挑発したので日本軍は真珠湾で米国をやむを得ず攻撃したのである』5)と述べました。開戦時に米国下院議員だったある人は『ルーズベルト大統領とコーデルハル国務長官は、日本に意図的最後通牒を送った。』6)と述べています。彼はまた、「日本には、自殺するか、降伏するか、戦うかの選択しかなかった。米国政権の戦争推進派は、日本軍の攻撃を知りながら真珠湾に警告しなかった事実が漏れると、対日最後通牒を始めとした種々の事実を隠すための大規模な作業を行った」6)とも記しています。大西洋横断飛行で知られるリンドバーグは、『12月8日;日本の奇襲攻撃は別に驚くに当たらぬ。我々は何週間にもわたり、彼らを戦争に駆り立てていたのだから』7)と日記に記しています。米国が「真珠湾の前から裏口からの参戦」をしていたことは、既に広く知られています。

清国末期のアジア大陸は、日本を含めた列強諸国の勢力拡大行動が交錯し、遅れて来た米国は「門戸開放・機会均等」を旗印にして、勢力争いに割り込んできたのです。特に、清国発祥の地である満州は「世界に類例のない極度に複雑な問題がある」8)といわれた地域でした。米国は、日露戦争後にロシアの利権を引き継いだ日本の南満州鉄道に露骨な食指を伸ばしましたが、交渉は決裂。これが日米の大戦の遠因となって行きました。第二次大戦中のポツダムの会談では、『トルーマンは成功確実になるまで核開発を進めてソ連抜きで日本を降伏させようと考え、チャーチルは早く原爆を使って欧州中心部へのソ連の進撃を阻止しようと思い、ソ連は漁夫の利を得るために米英が力を消耗してから参戦するつもりでした。結局米英は、ソ連勢力を阻止するために、日本を原爆の犠牲にした』9)のです。政治の延長としての戦争は、当事国が平和時以上に外交駆け引きを展開します。英国はドイツのポーランド侵攻を理由に参戦しながら、不利になったら米国に助けを求めました。

一方、ルーズベルト米国大統領は、「参戦しない」公約で当選していたので中立国の義務を放棄し、秘密裡に国民党を軍事支援して日本に先制攻撃をさせる策略を実行しました。これが先の大戦の姿です。ドイツと協定してポーランドを抹殺したソ連と妥協した英国も、分け前をぶら下げてソ連に日本との中立破棄を誘った米国も、その餌に食いついたソ連も、国家として普通の不誠実さがあっただけです。日本占領直後から、マッカーサーは一人の日本人も、一人の憲法学者も入れない配下の私的チームで「即席憲法案」を作りました。それはGHQの意のままに日本官僚により訳されました。

そしてその占領軍は、この憲法施行後に「交戦権の否定」を無視して日本人を朝鮮戦争に出撃させ、「言論・出版の自由」「検閲の禁止」「通信の秘密」も無視して、報道・出版の統制と検閲、私信の開封を行いました。「遡及処罰の禁止」は、東京、横浜裁判で完全に踏みにじられました。勝利者の正義の物語を広めたのも、日本だけを裁いたのも、この自ら作った憲法を破壊して行われたのです。この憲法は、最初から虚偽にまみれています。現代の東欧や東アジアの海などの国際秩序破壊への危険に対処する法案を、かくも汚れた憲法に違反する、というだけで、我が国の行くべき道は言わない憲法学者は、不誠実を通り越して滑稽です。

「被爆者代表」を僭称する人が首相に対して集団的自衛権を非難すれば中国は横暴な秩序破壊を止めるでしょうか?原爆が戦争を終わらせたから“被爆者に感謝しろ”という「はだしのゲン」は、明らかに日本各地の爆撃死者を冒涜しています。私たちは、63年間の勝利者の物語に幻惑されて、古文書と化した憲法に囚われた「反核平和70年の失敗」を克服しなければなりません。私たちの平和は先輩達との心の絆を回復し、国際政治のリアリズムをしっかり見据えて、独立国の名誉に賭けて自らを守る体制と覚悟を持つことに尽きるのです。過ちを繰り返させないために。
                    「平和と安全を求める被爆者たちの会」

引用文献一覧

1) 「黒い雨」井伏鱒二 新潮文庫
2) 「坂本町民原子爆弾殉難の碑のご案内」 平成18年8月坂本町山王自治会(長崎市)
3) 「海底のやうな光-原子爆弾の空襲に遭って」大田洋子 朝日新聞 昭和20年8月30日
4) 「原爆復興の長崎 息吹伝える;戦後70年記憶の中に」産経新聞 平成27年6月17日
5) 「忘れたことと 忘れさせられたこと」江藤淳 文春文庫
6) 「日米開戦の悲劇」ハミルトン・フィッシュ、岡崎久彦監訳 PHP文庫
7) 「リンドバーグ 第二次世界大戦日記」新庄哲夫訳 新潮社版
8) 「全文 リットン報告書」原文付属;渡部昇一 株式会社ビジネス社
9) 「HIROSHIMA NAGASAKI the real story of the Atomic bombings and t heir aftermath」 PAUL HAM transworldbooks.co. UK


――― 平成27年 私たちの平和宣言 ――― に関する補遺


今年の報道は「節目の戦後70年」が強調されているが私たちはその視点に違和感がある。占領軍が歴史の軸心を力で歪ませた7年間を単純合計した年数だからである。歪んだ軸に接ぎ木されての63年後が今年だと自覚すれば、幾分かは目の鱗は落ちる。よって今年は報道に流されないために、宣言文の含意をすこし掘りさげ記述して補遺とすることにした。

 近現代史は、確定させる程にはまだ「枯れて」いないから、歪んだまま枯れる前に軸を正さねばならない。進行中の安全保障法制で憲法違反と反対する論者は歴史が確定的に「枯れた」と信じて異見を受け入れない不思議な「民主主義者」のように見える。私たちはこの方面からは侮蔑的に「歴史修正主義」と呼ばれる。しかし、昨年8月の朝日新聞記事取り消しのように通念は修正される。昭和30年代始めの千田夏光氏の新造語に始まる「従軍慰安婦物語」は通用しなくなった。歴史の軸をまっすぐに矯正するために私たちは今後も誇りをもって「歴史修正主義」を続ける。

1. 私たちの立場
私たちは、近代国家成立以降の我が国の諸行為のすべてが理に適った正当なものだ、という立場には立たない。と同時に諸外国に対しても公平に同じ対応を取る。すべての国家は相応の不誠実さを備えているのである。そして、それこそが国家関係を円滑にし、対立を極限に至る前に緩和し平衡を保ってきた面がある。一つの事例は“外交官に対して、受け入れ国はいつでも理由を示さずに追放することができる<ペルソナノングラータ>”(外交関係におけるウィーン条約)に顕れる。個人間では不可解な規定だろうが、理由を明示すべきだったら、国家の名誉は棄損され極限事態に陥るかも知れない。「理由は貴国の胸に聞け」あるいは「我が国のシグナルを見よ」の婉曲表現である。国家がそれなりに不誠実であることは歴史に揉まれた深い意味がある。ただし成熟した国家同士の洗練された手法であり、覇権争いでは騙し合いに繋がる。

2. 日本の悪魔化
先の大戦後の占領政策で日本は100%の悪になった。歴史でそんなことはあり得ないが、今日まで多くの日本人は信じている。しかしそれはパズルの重要なピースを変形した、「だまし絵」である。だから私たちは専門家達と共に、我が国の弁護を続けなければならない。日本人だから。

3. 原爆犠牲者とその他の爆撃犠牲者、そして「はだしのゲン」
日米戦の初期に連戦連敗の米国は志氣高揚のため、1942年、米空母から爆撃機B25、16機を発艦させ東京、名古屋、神戸などを無差別空襲して国民党の米空軍基地(シェーンノート部隊)に着陸した。これが日本空襲の始めである。これは後に比較して小規模だが、沖縄戦に先立つ1945年3月、334機からなるB29大型爆撃機は東京の住民地区を焼夷弾爆撃し、一夜で10万余を殺害した大規模攻撃である。酸欠に依るものだという。使用焼夷弾は日本家屋を効果的に燃焼させるべく開発されたものである。以後、民間人を標的にした主な空襲だけでも大阪、関東、京浜、横浜、名古屋、再度の東京、呉、神戸、福岡、富山……意外だが京都5回。それぞれB29、100~250機余の規模で縦横無尽の殺戮が繰り返された。既に、降伏講和の申し出のある中での攻撃が続いた。原爆攻撃が不要だったのは、後のアイゼンハワー大統領も明言した通りである。しかし、原爆投下まで戦争を引きずったのはトルーマンの対ソ思惑なのは明らかになってきた。そうであっても、原爆だけを特別視するのは公正か?それを戦争一般の「倫理問題」に矮小化した責任は占領政策に幻惑された日本にあり、反核団体同士の抗争にもある。被爆犠牲者の無念は切々と胸を割く。だが他の爆撃犠牲者の無念も同じなのだ。「はだしのゲン」が少年雑誌に排除され共産党と日教組の雑誌が掲載を継続して以降、「日本人は被爆者に感謝しろ!原爆のお蔭で戦争狂の天皇や資本家は命が惜しくてポツダム宣言で戦争をやめた」と書く書物は祖国と爆撃犠牲者を踏みにじっている。これを「平和教育書」とする限り、歴史軸の歪みは戻らないし「平和」も泣く。

4. 平和と安全について
安全保障を否定する現憲法は、日本を自殺へ導く可能性を持っている。これを「平和憲法」と呼び、浅薄な“キレイゴト”の「戦争の愚かさ、平和の尊さ」を鐘太鼓で囃しても、仲間内での一時の興奮以外には世界が唱和することはない。私たちはこの異質で異常な憲法を戴けば、世界がひれ伏すと考えるほど「大国主義」ではない。ハミルトン・フィッシュは前掲書で『ルーズベルトが「真珠湾攻撃が恥ずべき行いの日」と呼ぶのならば、ハルノートは「恥ずべき最後通牒」と呼ぶのが適切だ』と述べている。中国が今も清国時代同様の「元来清国政府と事を商定するは、かつて英行使サー・ハリー・パアクスが比喩したる如く無底の釣瓶を以て井水を汲むが如く何時もその効なく・・」(蹇蹇録<けんけんろく> 陸奥宗光著 岩波文庫)の性質が続いているのは、最近の行動からもわかる。今後も日本の「憲法平和主義」の欺瞞がわかる事実が出てくるだろう。だから私たちはそれらを観察し、各国それなりの不誠実さと行動を常にチェックし、勢力バランスを保つ不断の努力をする方策以外の「他策なかりしを信ぜんと欲す」(前掲書)るのであって、それだけが将来の可能性に繋がるのである。
============(以上、転載終わり)

今年は補足分があります。この補足こそが「平和宣言の核心部分」ではないでしょうか。帰省中に母と話したのですが、いつもこの時期になると日本だけが悪いような番組ばかり放送されて本当にウンザリするといってました。戦争をして人を殺したのは日本だけじゃないのにと。なんで日本だけが、日本人によって悪く言われるのかと。

私は日本が戦争で反省するのは「負けたこと」だけだといったところ、母が「もし、日本が勝っていたら今頃日本はどうなっていただろうか?アメリカみたいな国をうまくコントロールできただろうか?ひどい軍国主義の国になっていたかも」と言いました。

もし、日本が勝っていたらどうなっていたか?皆様はどう思われますか?

この平和宣言の英文版もあります。以下をご覧ください。

*We have English version of "Declaration for Lasting Peace in 2015. Please refer to the following. (click "More ")




Our Declaration for Lasting Peace in 2015 ; Staring at the utopian story of 63 years after the end of Occupied Japan

August 6, 2015, Hiroshima

More than 200,000 vivid lives were thrown into the death in a split second. The intentional nuclear attack brought the solar-like super high heat wave and the gigantic blast beyond description to this massacre at Hiroshima and Nagasaki cities. Preceding this disaster more than 100,000 people running around to escape died in only one night through the flames caused by great many large incendiary cylinders dropped in Tokyo residential areas by many US-Bombers. More than several 100,000 lives were lost to other continual air-raids all over the Japanese cities. (Have a moment of silence please!) The atomic bombings and such carpet bombings constituted war crimes undoubtedly, breaking international law which was committed on innocent Japanese non-combatants mainly in merely half a year till August, 1945. Even 70 years after, those people who have survived from such a heinous atrocities by the two Atomic Bombings are unable to escape from anguish and fear in their bodies and emotions until now. Our fathers, mothers, brothers and sisters could not, the people who were exposed to unlawful attacks could not, have removed from the bottom of their heart; the criticism, resentment, mortification and humiliation experienced at that time.

The late Masuji Ibuse, the novelist described the scene when Hiroshima collapsed and fell into ashes. “Around Sorazaya-cho, they found the fire blaze licked these district. Various shapes of dead bodies were scattered. Upper parts of the body had burned into bone. Only one hand and one leg are left in its own shape barely and the remainder is skeleton. The surroundings filled with awful stench emitted from these human’s bodies everywhere.”1) In Nagasaki, a record shows “some are dying, some just between life and death are groaning in pain, and strong ones are attending casualties very enthusiastically. Among 780 people, more than 150 people were in fairly good condition at first, but in the next 10 days, people started dying one after another and finally, just about 20 people survived.”2) The people who experienced the same ordeal understood that this horrible landscape was the mirror of the heinous action of the attackers themselves. Under this extreme circumstance, while “people endured shrieking in agony and scariest hell of sleeping alongside corpses in the utmost humble manner,”3) people ascending to heaven left a cry of “please do retaliate… Mr. Soldier,” a voice from their very final state of mind. But just 9 month later, a report said in Nagasaki “we can see now numbers of reconstructed housings, busy market with many people, wrecked cathedral, and a girl with bandage on her head.”4) You helped each other under that Hell, kept your dignified and indomitable spirit, acted in the manner of orderly deeds and then opened up the base for reconstruction in such a short time. We shall express our sincere gratitude and pay our deepest respect to you. We are now blessed with the prosperity as your posterity. We will engrave in our mind your volition and thorny path and tribulations firmly. And we hereby politely bow our heads and say “We thank you from the bottom of our hearts.”

But now, there are the facts that we do not have to forget. Seven years of our occupied period which removed the freedom of speech in Japan hid the true story of the war crimes. The shouts from the spirit of the victims have been silenced. And all the truth from the war’s outbreak, then the Atomic Bombings and to our defeat, had turned into just stories made up by the occupation forces themselves. They kept hiding their crime of inhumane actions, but only accused Japan. 63 years since the end of occupation, a phrase “Do not let the war memory be gone!” is now heard everywhere in Japan. What exactly was the truth about the war? Can we really say that the 70th year after the war is our own anniversary?

In 1944, an English Ministry statement noted “The general perceptions are that the U.S. was forced into the War but this is an extremely false representation of history. The U.S. have provoked Japan into the war extreme harshly, which led Japan to have no choice but to attack Pearl Harbor.”5) A man who was a U.S. Representative at the time of the war’s start had published about his experiences in the political world later saying that “President Roosevelt and Secretary of State Cordell Hull issued an ultimatum secretly to Japan with clear intention.”6) He then added “Japan only got to choose either one from suicide of the states, surrender, or to start the war. When the facts began to leak out that the U.S. Government did not warn the garrison of Pearl Harbor even though they received advanced information on the attack, pro-war faction members in the Roosevelt administration started drastic actions to conceal various facts including such an ultimatum.”6) Charles Augustus Lindbergh who is famous for his transatlantic flight wrote in his diary “December 8th; the Japanese surprise attack should not surprise me, because we Americans had actually been instigating Japan to start the war for many weeks.”7) *1 It is widely known that the U.S. had already “entered the war from the backdoor before Pearl Harbor” after all.

The Asian Continent at the last stage of the Qing Dynasty was the territorial competitive target of the great world powers including Japan. The U.S, which was lagging behind, later jumped into the race under the slogan of “Open Door and Equal Opportunity Policy.” In those days Manchuria, the birthplace of the Qing Dynasty, was a well known area in the report presented to the League of Nations as “there are many features without an exact parallel in other parts of the world.____ They are, on the contrary, exceedingly complicated, and only an intimate knowledge of all the facts, as well as of their historical background, should entitle anyone to express a definite opinion upon them.” 8) The U.S. tried to initiate a blatant advance to The South Manchuria Railway, the company which Japan took over from Russia after the Russo-Japanese War, but the negotiation between Japan and the U.S. broke down. And that became one of the underlying causes for the Great War between Japan and the U.S. later. At the Conference in Potsdam during WWII, “Truman intended to make Japanese surrender without any support from the Soviet Union by developing nuclear weapons to a successful level; Churchill intended to stop Soviet Union’s advance to the middle of Europe by hastening the Atomic Bomb drop; Soviet Union intended to join the war to obtain profit while the U.S. and U.K.’s interest started to wane at the later stage of the war…”9)*2 All these facts suggest that the U.S. and U.K just tried to protect themselves from the Soviet Union’s advancement at the expense of Japan with the Atomic Bomb.” The war demand more serious political tactics for the countries involved than during the ordinary times. The U.K. made a war declaration to Germany against its advance into Poland, but started to ask for help from the U.S. when the situation became tougher withdrawing from Europe’s main land and leaving Poland as it were. In spite of President Roosevelt promise to stay out of war which was a main factor in order to be elected as The U.S. President successfully, he actually supplied military assistance to the Chinese Nationalist Party by abandoning the pledge to be a neutral power, with covert tactics to instigate the Japanese to start a preemptive attack. This is the true picture of the Great War, U.K. shook hands with the Soviet Union which had terminated the existence of Poland by making an agreement with Germany; the U.S. lured the Soviet Union to break its nonaggression pact with Japan by dangling dividends in front of its eyes; the Soviet Union took this bait; these are just the scenes showed that the almost all the usual nations possess their own dishonesties.

After the Occupation of Japan, the Supreme Commander MacArthur soon formed a working group including no Japanese and no constitutional experts to produce an “impromptu Constitution draft” under his supervision. It was then translated by American staff and Japanese bureaucrats who were bound to the GHQ’s intention. And the Occupation Army dispatched Japanese former soldiers to the Korean War ignoring “Un-recognition of the right of belligerency of the state” after the enforcement of this Constitution. The clauses of “Freedom of speech, press and all other expression,” “No censorship shall be maintained,” and “The secrecy of any means of communications” were all ignored and the GHQ initiated strict control and censorship of all the press and publication, and private letters were opened. The stipulation of “No person shall be held criminally liable for an act which was lawful at the time it was committed” was also completely crushed at the Tokyo and Yokohama Trials. Spreading a utopian story of justice by winners, Japanese and none of the ‘Allied Forces’ members were judged for war crimes… they were executed along with an overriding the Constitution which was invented by winners. This Constitution still working and the current Construction could be described as filled with falsehoods from the beginning. Therefore, it is beyond being dishonest and rather comical for the constitutional scholars who only repeat the word unconstitutional (Constitution itself is deformed) about a bill aiming to deal with the dangerous situation towards destruction of international order continuing in Eastern Europe and waters in East Asia, and instead propose utterly no suggestions what path our country should take. Do you really expect China to stop their aggressive distortion of the international order if the falsely self-proclaimed “Atomic Bomb Survivors Represents” voice against the inherent right of collective self-defense to the Prime Minister? The comic magazines as an effective educational book of peace “Barefoot Gen,” who encourages people to worship Atomic Bomb victims because that Atomic Bomb ended the war is an obvious insult to the bomb-shell victims all over Japan. We must now overcome the “Failure of 70 years of anti-nuclear peace activities” which is the result of both the 63-year dazzle from the unilateral story created by the victors, and antiquated Constitution which has bound the people’s mind still now. Our peace is achieved only when we recover the mental connection with our ancestors, square with the reality happening in the international politics, and be determination to establish a system and the resolution in order to protect ourselves upon our honor as an independent country. And to prevent ever repeating such an illegal error!

“The society structured by survivors of A-bomb and relatives to seek peace and security”  http://www.realpas.com/ 

Quotations
1) “The black rain” Masuji Ibuse Shinchou Library
2) “Monument information of the victims by the Atomic Bomb in the Sakamoto town residents” August 2006 San-nou neighborhood self-governing body Sakamoto-town Nagasaki-city
3) “The light like bottom of the sea---encountered the air-raid by Atomic Bomb”
Yoko Ohta Asahi newspaper 30 August 1945
4) “Reconstruction in Nagasaki from the Atomic Bomb; Memory in mind 70 years after the end of War” Sankei newspaper 17 June 2015
5) “Things to have forgotten and enforced to have forgotten” Jun Eto Bunshun- Library
6) “Tragic Deception” Hamilton Fish PHP- Library
7) “Lindbergh Diary in WWII” Charles Augustus Lindbergh; translated by Tetsuo Shinjo Shinchou Company
*1 This expression is translated from Japanese, and so it will be possibly deferent from those of the original .
8) “the Report of The Commission on Enquiry” Business Company
9) “HIROSHIMA NAGASAKI the real story of the Atomic bombings and their aftermath”
PAUL HAM transworldbooks.co. UK

*2 This expression is summarized the long original sentence.
Commented by ゆうり at 2015-08-07 08:51 x
こんにちは。
以前一度、世界遺産登録の記事にコメントさせていただきました、長崎の主婦です。
私も被爆2世ですが、バリバリ元気です(笑)
以前ヤジ問題でギャーギャー言ってた塩村ナントカさんが、
2世を売りにして悲劇のヒロインぶっていたのには反吐が出ました。
さて、アリエス様もよくご存じと思いますが、
被爆地長崎での平和教育の在り方、
ずっと疑問を感じています。
特に高校生。高校生平和大使とか、高校生1万人署名などで活動している子どもたちのことが気になります。
みんなそれなりの偏差値の学校の子で、お勉強のできる生徒なんだと思います。
こういう子たちを「運動」に引き込んでいくことに、
不安を感じるのです。
反戦・反核は、決して間違った思想ではありません。
けれど、それを政治利用されることの危うさを、子供たちは知りません。
良いことをしているという意識だけで、その活動に達成感を求めてしまっては、やがてはSEALDsのような団体にだまされるんじゃないかと危惧するのです。
私の母校も、あろうことか韓国人修学旅行生と交流とか、
市内出身歌手と平和ソングをコラボとかやってますよ。
昔より今の方がおかしなことになっていますね。

アリエス様が長崎の方ということもあり、
いつも応援させていただいています。
東京はこちらより暑いでしょう。どうぞご自愛くださいませ。
Commented by mamo_gonta at 2015-08-07 12:50
こんにちはアリエスさん。
世界で唯一の原子爆弾被害国でありながら
戦勝国の一方的な解釈で、我が国民の大多数が
「日本が侵略戦争をしたから、それを終わらせるため仕方がなかった」と思わされています。
しかし、非戦闘員を狙った単なる「米国による人体実験」は今や歴史を知る人間にとっては常識ですが
こういった誤解は戦後の教育を変えていかなくては全く直す事は出来ません。
決定事項ではまだありませんが、歴史教育が変わりそうな方向で進むそうです。
ぜひ正しい近現代史を若者には学んで欲しいと思います。
Commented at 2015-08-07 21:11
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ariesgirl at 2015-08-07 21:28
>ゆうりさま
こんばんは。お暑うございます。さて、ゆうりさんも二世でしたか。長崎なんて石投げれば当たりそうな感じですからね(笑)誰も意識もしてないですし。さて、コメントの平和教育について。私も大変な違和感を覚えています。高校生の平和大使や署名活動、確かに彼らの理想や行動は立派だと思いますし、私が高校生の時にはありえなかったことです。彼らの純粋な思いを利用している輩がいることに恐ろしさを感じます。核廃絶より、戦争をなくすほうが先だと思いますが、彼らはその辺をどう考えているのでしょうか。これも日教組や反日団体の扇動であろうし、昔は淡々と原爆や戦争のことを伝えていたはずですが、いつの間にかとんでもない反日的なイデオロギーで汚鮮されたと思っています。そのいい例が現在の原爆記念館ですね。地元の方に見ていただくのはうれしくもあり、ちょっと気恥ずかしいような(笑)ゆうりさん、こちらこそ今後ともじげもんとしてどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

> mamo_gonta さま
こんばんは。連日暑すぎてどうにかなりそうですね(><)我が国には二発の原爆投下のせいか、核アレルギーなる病気が蔓延しております。そのいい見本が大震災後の常軌を逸した「反原発」の「放射脳」の方々です。今、あの方たちってどうなってるのでしょうね?被ばくして死んだのでしょうか?さて、アメリカによる人体実験であった原爆投下は明らかに戦争犯罪です。しかし、勝ったがゆえにその事実に蓋がされています。東京都の教育委員会が育鵬社の教科書を採用する決定をしました。これは実に喜ばしいことであり、少しずつ変わり始めているという気がします。それを大きくするのは私たち日本人です。そのためにも自分にできることを続けていきましょう!
Commented by ariesgirl at 2015-08-07 21:31
>鍵コメントさま (2015-08-07 21:11 )
こんばんは。お暑うございます。我が国の自然状況を見ると、八百万の神々の怒りではないかと思うことばかりです。
安倍総理には15日でなくてもいいので、靖國にさんぱいしてもらいたいです。参拝で支持率80%ですよ!鍵コメさんの職場、そうなっているんですね~知りませんでした。ぜひお知らせくださいませ。
Commented by 翡翠 at 2015-08-07 22:55 x
アリエス様

拝読しました。
感動しました。
真っ直ぐ日本の主張を
されていると感じます。
ぜひ転載させてください。
よろしくお願い致します。
Commented by Suica割 at 2015-08-08 12:55 x
無理矢理、長崎と広島に原爆投下する必要はありませんでしたね。
実験フィルム(投下前に砂漠で爆発試験をやってます)を見せて脅すなり、通告した後に海上で投下実験をして、日本側に見せて脅すなりすればいいのです。
陸上に落とすにしても、軍人しかいない要塞になっていた島を壊滅させればいいのです。
つまり、トルーマンは、日本人をモルモット扱いしたということになります。
Commented by ariesgirl at 2015-08-08 18:32
>翡翠さま
こんばんは。今回転載した平和宣言ですが、一人でも多くの方に読んでいただきたい内容です。いわゆる通常の「平和宣言」とは一線を画したものであり、これがベースになるべきものと個人的には思っています。どうぞ、多くの方に紹介していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

>Suica割さま
こんばんは。広島、長崎への原爆投下はソ連に対するアメリカの力の誇示と核が人体に及ぼす影響を敵国の有色人種である日本人で実験することがすべてです。トルーマン、ルーズベルトのいずれの大統領も「日本人を殲滅せよ」と命令していますので、民族浄化、殲滅を計画していたことになります。つまり、アメリカ大統領もナチスのユダヤ民族浄化と同じ思想をもっていたことになると思います。ドイツやイタリアに原爆を落とさなかったのは彼らが同じ白人だからですからね。日本人は当時のアメリカにとってただの人体実験の動物だったということです。
by ariesgirl | 2015-08-06 19:20 | 日本 | Comments(8)

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